★アメリカ
アドルファス・グリーリィ
1881
極地に気象観測所を建設

大航海物語★
USA CANADA
北極点

グリーンランド→

グカナダ北部→







グリーりィと
グリーりィの探検地図 と ゾリ隊
アメリカ 1986 発行
  .
カナダ 1981 発行
←ケーン水路
グリーンランド

←パフィン島
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
←ラプラドル半島




グリーリィはアメリカの北極探検家で、アメリカ陸軍准将で名誉勲章受賞者です。

・アドルファス・ワシントン・グリーリィ (1844〜1935)
 Adolphus Washington Greely

グリーリィはマサチュセッツ州ニューハンプシャー(Newburyport, Massachusetts)で生まれ、17才で米陸軍に入隊し、南北戦争(Civil War、1861-1865)に北軍で従軍して名誉少佐になりました。1866年22才で正規軍の第5騎兵連隊に少尉で入隊し、1873年に中尉に昇進しました。1881年37才でヘンリエッタ(Henrietta Nesmith)と結婚しました。

1881年にグリーリィ中尉は第1回世界極地年に気象観測網基地設営のために、プロテウス号(Proteus)で、エリスミーア(>Ellesmere)島のグリンネルランド(Grinnell Land)東で、1875年にイギリス隊が発見していたレディフランクリン湾(Lady Franklin Bay)探検隊の司令官に任命されました。探検隊は米政府からの要請で天文学者イズラエル(Edward Israel、1859-1884)隊員による磁極データ収集も任務としていました。

グリーリィと隊員たち乗組員は全く極地経験を持っていませんでしたが、グリーンランドの北西海岸沿いに未踏査の氷海を通過できました。ロックウッドとブレイナード(Lt. James B. Lockwood and David L. Brainard)が最北到達記録(83°24')を持っていたケーン水路西岸のエリスミーア島に上陸して、島を東から西へソリ(sledge party)を引いて横断し、ジョセフヘンリー岬(Cape Joseph Henry)の近くに基地(住居と観測所)を設営しました。その後に予定会合地点だったエリスミーア島のフォートコンガー(Conger)へ移動しました。ところが、ベルガンティン船ベア号(USS Bear、1874、60.5m、703t、3本マスト機帆船)とセティス(Thetis)号の2隻の支援船がフォートコンガーへの接岸に失敗して連絡がとれなくなり、遭難したものと思われました。ヘンリエッタ夫人が消息不明の知らせを聞いて、米陸軍当局へ何度も救助隊派遣を訴えましたので、当局は救助のためにベア号とセティス号の2隻を派遣しました。そして、1884/6/22にカナダ・ノースウェスト準州サバイン(Sabine)岬でグリーリィ探検隊生存者、全隊員25人中、飢餓(Starvation)、水死(Drowning)、低体温症(Hypothermia)、猟銃の暴発(gunshot wounds)などで犠牲となった人を除く19人を発見・救助しました。帰路での彼らは弱り果てて、ほとんど死にかけの状態で、とうとう1人が亡くなりました。生還した隊員たちは英雄として大歓迎されました。しかし、トッド(Alden Todd)が「グリーリィ北極探検物語1881-84」を出版したので、飢餓によるカリバニズム(人肉食)がセンセーショナルに報道されました。

1886/6から20年に渡る軍務に服し大尉だったグリーリィは、1887/3にクリーブランド大統領(Grover Cleveland、22&24代、1837-1908)によって米陸軍将軍(准将)の列に叙するという栄誉を与えられました。

その後、グリーリィ将軍は米陸軍通信軍司令官に就任し、米西戦争(Spanish American War、1898/4-8)の間にプエルトリコに800マイル、キューバに3000マイル、フィリピンに10200マイルの電信を敷設しました。極地探検で関係が深かったアラスカには4000マイルを敷設しました。1905年に探検家協会の初代会長に就任しました。

1906/4/18に発生したロサンジュエルス大地震の時には、緊急救助施設を設営して緊急救助隊司令官として活躍しました。1906年に陸軍少将に昇進し、1908年に64才でアメリカ合衆国陸軍を退役しました。1915年にイタリアの極地地理学者ファウスティニ(Arnaldo Faustini、1872-1944)を招待して講演会を開きました。

グリーリィ将軍は1935年に91才で名誉勲章を受章し、1936年にマサチュセッツ州ニューベリーポートで91才で亡くなりニューベリーポート教会(Newburyport)に埋葬されました。

参考HP〜
ケープ・ジョセフ・ヘンリー岬の地図(Cape Joseph Henry)
エリスミーア島の地図(>Ellesmere Island)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     08/1/25
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