Calico Jack |
Pirates of Caribbian | |
海賊ジョン・ラッカム船長 1718 海賊船長カリコ・ジャックとなる |
大航海物語 ★カリブ海 |
|
Turks & Caicos Islands パイレーツ・オブ・カリビアン 海賊旗”カリコジャック”を掲げる女海賊とその仲間 |
|
アン・ボニーとメアリー・リード |
←ラッカム船長 |
ディズニーランド30年記念 ”The Pirates of Caribian” タークカイコス諸島 1985/10/4 発行 |
ジョン・ラッカム船長は海賊の黄金期(Golden Age of Piracy)といわれた1718〜1720年の間にカリブ海を荒らし回った海賊船長の一人で、当時インドからきたばかりの新しい素材のキャラコ(Calico、白木綿=カリコ)製の帽子や衣服を常に身につけていたので、カリコ・ジャック(Calico Jack、Jack=Johnの愛称)の異名をとりました。ラッカム船長は他の海賊とは違って、漁船や小さい商船ばかりを狙う地味で平凡な海賊でしたが、女海賊アン・ボニーとメアリー・リードとの2人を部下にもっていたが故に有名になり名を残しました。 |
・ジョン・ラッカム船長(1682/12/21〜1720/11/18) Captain John Rackham 別名、カリコ・ジャック (Calico Jack) ラッカム船長の生い立ちは定かではありませんが、海賊チャールス・ヴェーン船長(Charles Vane 1680-1721)の操舵手としてヴェイン船長に信用され、ヴェイン船長が2隻目の船を手に入れると、その船の船長を任された時から歴史に登場しました。
1719/5月にバハマ総督ウッズ・ロジャースの特赦令を聞きつけて、総督のもとに出頭のうえ特赦を受け、バハマに落ち着きました。この時に居酒屋でアン・ボニーと知り合い、愛し合ったと言われています。バハマで金が無くなると、ラッカム船長はまた海賊稼業へ戻る決意をして、アン・ボニーも男装して一緒に乗船しました。ラッカム船長は再びカリブ海で漁船や小型商船を襲撃しました。そして襲った船の1隻に男装したメアリ・リードが乗り組んでいて、ラッカム船長の手下に加わりました。 1720/8/20夜半、ラッカム船長は11人の手下と共にバハマ諸島ニュー・プロビデンス島の現:ナッソーに停泊していたスループ帆船を強奪。この報せを受けたロジャーズ総督はすぐに追っての武装帆船2隻を派遣しました。10月に入ってから、海賊狩り稼業のジョナサン・バレット船長(pirate hunter Jonathan Barnet)の武装スループ帆船がジャマイカ島東端の湾ネグリル港で停泊して酔っ払っていたラッカム船長の船を捕捉しました。降伏勧告を拒否して逃走しょうとしたので、バレット船長は乗船攻撃を敢行、これを見たラッカム船長と乗組員達は揃って船底の船倉へと逃げ込んでしまいました。2人の女海賊のアンとメアリーだけが激しい抵抗するも、結局取り押えられました。1720/11/16にラッカム船長と手下の男全員が有罪判決(アンとメアリーは後で判決)となり、ジャマイカ島セント・ジョン・デ・ラ・ヴェガ(St.Jago de la Vega、現:スパニッシュタウン、SpanishTown)で処刑されることとなりました。この時に面会したアン・ボニーは失望のあまり「あなたが男らしく戦っていれば、犬のように繋がれる(絞首刑)ことは無かったでしょう!」と激しく罵ったと伝えられています。 1720/11/19〜20にかけて絞首刑(ハンギング)が執行され、その遺体は海賊たちへの見せしめとして鎖に繋がれ、晒し物(さらしもの、exposed)にされました。
参考HP:〜 ・海賊旗カリコ・ジャック ・カリブ海の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 12/5/10、12/7/10、12/8/14 |