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(V−2)07/09/13(木)〜19(水) ”おのぼりさん”東京見物(2)
 ・すがも界隈から、鬼子母神へ
染井霊園の徳栄山・本妙寺 久世家の墓所 爺婆の原宿・高岩寺”とげ抜き”地蔵 鬼子母神
剣豪・千葉周作の墓 名奉行・遠山金四郎の墓 二葉亭四迷の墓 芥川龍之介の墓
「近藤勇」の墓所
 
巣鴨駅
切手の「芥川龍之介」
東京見物4日目の日曜は、久しくご無沙汰していた北区の従兄弟の所に立ち寄ったら、案内を買って出てくれました。巣鴨駅近くの「近藤勇」の墓所から、染井霊園に寄って「墓巡り」をしてきました。染井霊園案内によると、本妙寺には「千葉周作」、「遠山金四郎」、「本因坊歴代」、「明暦の大火(振袖火事)供養塔」などがあり、慈眼寺には「芥川龍之介」、「谷崎潤一郎」、「小林平八郎」などの墓があり、勝林寺には「田沼意次」、その他の寺に「高村光雲と光太郎」、「岩槻礼次郎(首相)」、「岡倉天心」、「幣原喜重郎(首相)」などの墓があると記されていました。染井霊園は著名人が多く眠っている地区なんですね。

途中から奥さんも加わって3人で「とげ抜き地蔵」まで行き「爺婆の原宿」を満喫してきました。本当は四の付く日が縁日で賑わうとかだったのですが、きょう日は観光客でいつも賑わっているとのことでした。”爺婆の原宿”から都電荒川線の庚申塚駅まで一緒してくれた従兄弟夫婦と別れて、一路、鬼子母神へと向かいました。そこには 「TV推理サスペンスドラマ」 でお馴染みの「鬼子母神さま御堂」のある風景がありました。天延記念物に指定された大銀杏の木は、それは大きい木でしたよ。キット日本一の大きさなんでしょうね。左の写真が大銀杏です。

「とげ抜き地蔵」では、有名なカレー屋さんがあるとて行くとお休みでしたので、隣の寿司屋さんに入って「江戸前の寿司」をご馳走になったんですが、店に入るなり「お冷」を立て続けに3杯も飲み干したもんで皆さんビックリしていました。無茶苦茶に暑い日だったんで、喉が渇いてね。暑い中を案内してくださって、本当にありがとう御座いました。

神戸に帰ってからTVを見ていると、「鬼子母の末裔」というサスペンス・ドラマをやっていました。佐久間良子が扮する母が一人息子を溺愛するあまり、息子に悪意を持つ人や、彼が勝手に選んだ結婚相手などを次々と殺してしまうが、何故か殺人の嫌疑は別人になる。これこそ子供を持つ母親の守り神「鬼子母神」様が守って下さったと信仰心を厚くするお話しでした。なお、嫁には南野陽子が扮しており、「雑司が谷」警察署の刑事には古谷一行と石原良純が扮していました。佐久間良子が扮する母の、ドラマ最期のセリフは 「私は今日も鬼子母神様にお参りしております。」 というものでした。森村誠一の作品はとても凝っていて面白いですね。
       TVのサスペンス劇場によく登場する”鬼子母神”にも行けたニッキィーより
参考HP=〜
・公式HP=巣鴨地蔵通り商店街鬼子母神御堂
・その他 =近藤勇の墓所染井霊園著名人の墓一覧表とげぬき地蔵鬼子母御堂


 ・目黒の寄生虫博物館から原宿、そして明治神宮へ、

目黒寄生虫博物館 原宿駅
明治神宮 「忠犬ハチ公」銅像
寄生虫グッズ
明治橋での光景・原宿の若者
切手の「明治神宮」
切手の「忠犬ハチ公」
常盤橋公園の「渋沢栄一」銅像
明治橋での光景・原宿の若者
明治神宮・明治橋の鳥居
JR「東京駅」丸の内出口
鬼子母神を参詣してから、都電の大塚駅に戻り、池袋から目黒の寄生虫博物館へと移動しました。目黒の駅もかなり大きくて、交番を探すのにウロウロしました。ようやく目指す博物館を知る交番を見つけて、勇躍歩くこと15分か、また交番があったんで確かめて、教えられた通りに橋を超えて大鳥神社を通って、博物館に着きました。

目黒寄生虫館は世界でたった一つの寄生虫だけの専門博物館なのです。狭い館内は子供連れでごった返していました。虫の標本を見て、「お腹が痛く なりそう!」との会話が耳に飛び込んできました。いるわイルワこんなにも寄生虫がいたんかと再認識することシキリだったのですよ。意外に思ったんはマラリアは寄生虫が原因しているという事でした。蚊が媒介するとは聞いていましたが、それが寄生虫だったとは、吃驚しました。帰ったら、寄生虫の切手を集めてホームページを作成しょうとのアイディアが浮かびました。ハマダラ蚊がマラリア原虫を媒介する事をつきとめたイギリス人には、100年前にノーベル賞が 贈られており、あのアレクサンダー大王はマラリアで亡くなっている事などが分かりました。

そこから渋谷へ出て、忠犬ハチ公の写真を撮りました。ところが折悪しく、阿部首相辞任後の「自民党の総裁選挙」の渋谷駅西口前での街頭会演説会あるとて大変な混雑でした。忠犬ハチ公は人ごみでご覧のとおりの写真となりました。

さあ今度は、明治神宮に行こうと思って地図を調べたら、JR原宿駅が最寄り駅に思えたんで、原宿で下車したら、若者で賑わっていました。やはり若者の街”原宿”なんだと感心しながら、若者街とは反対側の明治橋を渡りました。すると、その橋の上では、ゴスプリ(?)風のファッション をした日傘の姉ちゃんが観光客に写真を撮らせていました。イイ年こいた叔母さんが、「わ〜ぁ、カワイイ!」と叫びながらのデジカメ撮影をしていました。べつに金を請求するわけでも無さそうだったんで、奇異に感じました。そこから、明治神宮の本殿までが遠かったんです。「昼なお暗い」の表現どおりの、うっそう たる森の中を歩きました。本殿前で小さい男の子を2人連れた若い夫婦が写真を撮って いたんで、撮りましょうかと声をかけたら、「ハイ!」との返事で、私のも撮ってくれました。明治天皇の140周年記念行事があるようで、明治天皇の和歌を書いた大きな看板がかけてありました。

参詣後、薄暗い境内を代々木駅前出入口まで歩きました。明治神宮は大阪城のような感じで、回りを電車が通っているように感じました。結局、原宿から代々木まで歩いたわけです。地図では新宿まで歩いて行けそうでしたが、距離がありすぎたんで、またの機会 にしました。たぶん一日がかりだろうと思いましたよ。
       念願の若者の街”原宿”も垣間見たニッキィーより
参考HP〜
・公式HP=目黒寄生虫館明治神宮
・その他 =忠犬ハチ公原宿表参道元気祭りスーパーよさこい


「日本猿の顔は赤かった!」

  ・お江戸日本橋から、東京タワー界隈へ。

日本橋 逓信総合博物館
増上寺からの東京タワー 夏目漱石」ゆかりの井戸
日本切手で見る「日本橋」
切手の「逓信総合博物館」 日本切手の「東京タワー」 切手の「夏目漱石」
切手の「お江戸日本橋」

東海道五十三次より

切手の「東京タワー」
東京タワー真下での「猿まわし」
丸山古墳脇「伊能忠敬碑」

切手の「伊能忠敬」
東京見物の5日目は日本橋と逓信博物館を目指して出発。メトロの日本橋駅の直ぐ上のビルで朝の掃除をしている叔母さんに、「日本橋は何処ですか?」と訊ねると、わざわざビルの反対側まで連れて行ってくれて、「向こうですが、こちらには漱石のゆかりの井戸があり ますよ。」と丁寧に教えてくれました。なんと親切な人なんだろうと感心しました。思いがけない ”漱石ゆかりの井戸”を見学して、向こうの橋へとたどりついたら、2、3人が写真を撮っているんが見えました。そここそが「日本国道路元標の基石」のある”お江戸日本橋”記念碑の場所だったんです。しかも、なんと百貨店の三越の前だったんで、一緒に写真に収めました。

それから逓信博物館に行こうとして、とんだハプニングに遭遇しました。それは常盤橋すぐ近くの「渋沢栄一の銅像」を写真に収めようと近寄った時の事でした。ホームレスらしき男が手に持っていた洗濯したばかりでビショ濡れのスボンを干す前に、広げてパンパンとハタイタもんだから、こちらに水しぶきが飛んできましたんで逃げたところ、「お前! 許可とったんか!」と大声で怒鳴る声がしました。おやっと思って 声の方を見ると、公園の涼しい木陰のベンチで新聞を読んでいた人が、「ここで洗濯してイイと思もっとんか!」と、また怒鳴ったんです。するとホームレスは洗濯物を両手に抱いて、コソ コソと何処かに消えてしまいました。直ぐ横の洗面所を覗くと、別の者が手洗い場の水道で洗濯しているのが見えました。ここの小公園はホームレスの洗濯場なんだなと思いました。銅像の回りの石組みに干しとけば、この強い日差しで直ぐに乾いてしまうでしょう。今朝はたまたまウルサイ都民が居たんで、彼らもトンだ災難だったんでしょうね。しかし、人前もはばからぬ態度が悪かったんで、善良なる市民が思わず注意をしてくれたんだと思いました。コソコソと消えたんで、また誰もいないような静寂が戻ってきました。新聞を静かに読み出した人と、遥か向こうの石垣をロッククライミングよろしく、よじ登って いる人の他には誰もいなくなりました。

今日は、漱石ゆかりの井戸〜日本橋〜東京駅〜常盤橋〜逓信総合博物館〜東京タワー(増上寺)〜丸山古墳(伊能忠敬)〜NHK映像博物館 と見物しました。 逓信総合博物館は、NHKとNTTと日本郵政公社との総合の博物館となっており、 何処に切手があるのか、誰も客のいない広い館内を探し回りました。暇そうにしていた見張りの姉ちゃんに聞くと、「2階の右手です。」と教えてくれました。郵政公社のコーナー に着いてからは、熱心に世界の切手を見まくりました。一日かけても良かったと思いました。さすがに切手が良く揃っていました。時間が足りなくて、後ろ髪をひかれる思いで出て、午後からの案内をしてくれる我が愛息との待ち合わせ場所へと、大手町の地下構内を400m以上も歩きました。東京の地下鉄駅構内は実に広かったですよ!

増上寺参詣の後、東京タワーで昼食をご馳走になりました。祭日だったんでか、タワーには待ち行列ができていたので登りませんでしたが、タワーの真下の足場の所で、「猿回し」が居たんですよ。TVではお馴染みですが、実演は始めてみました。さすがは東京だと感心しまして写真を撮りました。あと丸山古墳方面へ行き、NHK映像博物館を見物して、今日は終了したんです。NHK映像博物館では、VTRで「ひろしま」を見ました。ほとんど昼寝状態だったんですが、 米軍の広島への原爆投下飛行機のB29”エノーラゲイ”と長崎原爆投下機B29”ボックスカー”との搭乗員が、1ヵ月後の昭和20年9月には広島に来ていて、その映像フィルムがNHKに保存されていたとかで、ドキュメンタリーとして放送されたのでした。それをナレーション付きで見たもんですから、気持ち良い昼寝ができたんです。ここは入館無料でした。私達が払っている受信料で運営されているんですね。なお、米軍の原爆投下飛行機B29については、 私のHP「太平洋戦争・戦争と平和」の”エノーラゲイ”と”ボックスカー”を参照してください。
       逓信博物館の切手を堪能して、東京タワーには登らなかったニッキィーより
参考HP〜
・公式HP=逓信総合博物館東京タワー(株)
・その他 =日本橋お江戸日本橋


 ・浅草寺界隈から、東京都庁へ。

浅草寺「雷門」 浅草寺「五重塔」 両国の「国技館」
両国の「江戸東京博物館」
切手の「雷門」
東京都庁
両国「国技館」完成
切手の「江戸東京博物館」
隅田川 (駒形橋のある) 風景 (曇り空でした!)
東京見物の6日目は所沢(西部ライオンズのホームグラウンド球場のある所)に住んでいるメル友さんが案内を引き受けてくださるので、浅草の雷門前で待ち合わせました。少し早めに行って見物 しといておこうと思っていたのに、駅を出てウロウロしていたら約束の10時になってしまいましたが、定刻に会えました。お互いに1年振りの元気な再会に喜びもひとしおでした。早速、記念撮影 となりました。それから、「仲見世通り」から浅草劇場通りへと一回り案内してもらいました。

芝居小屋の「浅草木馬館大衆劇場」や「浅草木馬亭」前には女剣戟の看板が掛かっており、大勢のファンが列を作って開場を待っていました。丁度、神戸の新開地劇場の如きでしたよ。その付近には、映画館の「浅草大勝館」や、落語などの寄席劇場の「浅草園芸ホール」 もありました。一日200円のレンタサイクルもありましたが、歩いて広い境内周辺を一回りしました。しもた屋風の古びた感じの喫茶店に入ったら、老夫婦と思われる店番が居ました。狭い店内はほぼ満席の客でした。しばらく四方山話しをしましたが誰も席を立ちませんでした。結局、我々が先に席を立って、隅田川方面へとブラブラ歩きました。

赤い欄干の吾妻橋 を渡って、隅田川の水上バス(遊覧船)乗り場や観光屋形船の船着場を見物 してから、駒形橋までを隅田川公園(隅田川テラス)沿いに散策して駒形橋を渡りました。そこで少し早いが、お昼にしましょうとなって、あれこれ相談の結果「どぜうの駒形」に行く ことになり、道行く人に尋ねたら直ぐそこを曲がった所と分かりました。 「どぜうの駒形」で珍しい料理をご馳走になってから、地下鉄のメトロで両国の国技館へと移動しました。

そこは「本日、満員御礼」だったんで素通りして、直ぐ隣の「江戸東京博物館」に入りました。中の暗さには閉口しました。国立博物館よりも暗いかったんですよ。省エネのせいで電気を消していたんでしょうかね。バブルの絶頂期に完成した建物なので巨額の維持費が掛かるそうです。広いスペースの館内は大名屋敷や日本橋界隈の大きな模型が展示してありました。芝居小屋の実物模型もありました。その周辺に昔の江戸の風物で、今に伝わっている物が展示されていました。芝居小屋前の休憩ホールで、一休みすると冷房が良く効いていて気持ちよかったです。これだけの広さ(3層吹き抜け)では、さぞや電気代がかかることでしょうね!

その後は切手屋に行こうと資料を見せてくれたんで、今日も開店している新橋の店にメトロで移動。しかし、そこは小売をしていませんでした。そこで別れて新橋駅より新宿駅に出て、東京都庁へ行きました。駅から 都庁までがかなりの距離がありました。美しい町並みの高層ビル街の都庁前で、これが”都庁タワー”なのだと感心して見上げながら写真を撮りました。歩いているスーツ姿の連中の話では、最上階の展望室は都民には無料で解放しているとのことでした。その前の道路の下には別の道路が横切っているんで一段高くなっていました。その綺麗な歩道上に、荷物を一杯ひろげたホームレスの女が居て、”頭の虱とり”をしていたんはつや消しでした。石原都知事に電話してやろうかと思ったんですよ!
       東京のホームレスも垣間見たニッキィーより
参考HP〜
・公式HP=浅草寺中継カメラ江戸東京博物館、国技館の案内所仲見世商店街組合東京都庁
・その他 =浅草寺浅草寺と三社様江戸下町情緒マップ式の金龍山・浅草寺東京都庁タワー


「神戸の夜景は美しかった!」

  ・高輪「泉岳寺」から、羽田を飛びたって神戸へ。

高輪「泉岳寺」
泉岳寺「浅野公」と「瑤泉院」墓
泉岳寺の「四十七士」墓
汐留の「日テレ」タワー
羽田空港
羽田「北ウィング」出発ロビー
お台場の「船の科学館」
深海作業艇
切手の「宗谷」

1983年発行
南極観測船「宗谷」
切手の「宗谷」

2007年発行
東京見物の最終日は、まずは品川方面の泉岳寺へと向かいました。地下鉄の駅を出ると直ぐに目に付いた神社仏閣風の建物が通りの向こうに見えました。ちょっと変だと思って歩道を掃除していた警備員風体のおじさんに聞いたら、 「いや、あれは小さな神社で、泉岳寺は、あの山門の向こうです。」と教えてくれたんで、 少し上り坂を上って、小さな山門から中へ入ってみました。すると、そこには、かなりな門があって そこに泉岳寺と書いてあったんです。

その後、五反田から新橋へ出て、汐留まで歩道橋を歩いていると変な物が見えたんで、行ってみると”日テレタワー”(日本TVのビル)前の大きな時計の置物でしたが、時を刻んでいるようには見えませんでした。ついでに”日テレタワー”に入ってみると、それはただの会社ビルで、入り口がロビー風になっていて、TVコマーシャルでお馴染みの 「投手が投げたボールが進んでゆく」電飾があっただけで、他には何も無なかったんですが、警備 だけは厳重でした。それほど広くもないロビーには数人の見物人が固い椅子に座って、「ボールが進んでゆく」電飾を見ていました。

その後、東京の新交通システム”ゆりカモメ”に乗って、お台場へと向かいました。”ゆりかもめ”は神戸のポーアイへのアクセス交通「ポートライナー」みたいなもので、料金も 同じように感じました。360円だったんです。お台場では”船の科学館”駅で下車。直ぐ前に見えて いる「船の形をしたビル」の方へと行き、南極観測船の”宗谷”を撮影。科学館を一周して展示物を撮影。暑かったんで、北海道のミルクたっぷりのアイスクリームを食しました。神戸の水臭いのとは大違いで、美味かったですよ。昼食時間 だったんで海のレストランへ入ってはみたものの、セルフ方式でつまらなかったんで止めました。もう最終日となったので、羽田で”東京そば”を食ってみようと羽田モノレールを探して、ずいぶんと何回も歩いたり乗り換たりして、やっと羽田に着きました。上の写真を見ると解ると思いますが、羽田はとても広かったです。”東京そば”にもありつきました。さすがに蕎麦専門店だけあって、”蕎麦つゆ”もだしてくれました。その後は羽田空港を見物して、飛行機の離着陸の様子を写真に収める事が出来ました。羽田では、滑走路が離陸と着陸とに別々に分かれていて、それぞれ3分おきに離着陸 していたんで、シャッター・チャンスは何回も訪れて良かったです。

帰路の空路は、薄暮の羽田を離陸後、真下の陸上ライトが時々見えていました。安定飛行後は真っ暗な空の中を飛んでいましたが、しばらくすると前方の空の上半分が真っ赤となりました。初めて見る「夕焼け空」は気持ち悪いくらいに真っ赤でした。それも終って暗い中を飛行後、大阪 らしい上空からは、真下に広がる陸上ライトが良く見えました。丸や四角に変形する電飾 ライトを眺めながらの空の旅を楽しみました。しばらくしてから、シートベルトサインの案内が あって、「それでは、神戸の夜景をお楽しみください!」と室内灯を消灯したら、クッキリと窓の外に ”神戸の1000万弗の夜景” が眼に飛び込んできました。それは美しいものでしたよ!「絵にも描けない美しさ」とはこのことだと思いました。特にライトアップされた”パールブリッジ(明石海峡大橋)”が真下に見えた時には、思わず ブラボーと叫びだしそうになって、必死で口を手で押さえたもんです。 「こんな素敵な神戸の夜景を見れるなんて、俺は幸せ者だ!」 神戸空港へは西から突っ込んでの着陸だったんで、 左の窓際に座っていた私には、最も良い眺めだったんです!
       ”1000万弗の神戸の夜景”に感動もヒトシオだったニッキィーより

参考HP〜
・公式HP= 曹洞宗江戸三ヶ寺泉岳寺
・その他 =泉岳寺泉岳寺散歩泉岳寺界隈
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はいから神戸
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